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9月, 2019 のアーカイブ

映画『メランコリック』について ー匂いのする風景ー

映画『メランコリック』について

ー匂いのする風景ー

俳優で友人の矢田政伸氏からお知らせを受けて見せていただいたこの映画、今巷でも大騒ぎになるほど話題になっておりますね。

矢田さんは映画の中で、強面のヤクザを演じておりますが、ユーモラスな中に凄みがあって良いキャラであります。

この映画、制作過程がとても大変だったようで、クラウドファンディングやなんやかやで、それこそ奇跡的な上映だったようです。しかし、それも内容の良さからくるものでしょう。東京国際映画祭で監督賞を受賞だとか、そんな受賞歴を遥かに超えて、近年稀に見る低予算でこれだけ面白い作品が撮れたという事実こそ一つの奇跡であり快挙でしょう。

30歳でニートの主人公が経験する奇妙な体験が、彼を少しだけ成長させるという正統的ビルディングスロマンにもかかわらず、観ている最中はそんなことを微塵も予測させないストーリー展開の妙がそこにありました。

銭湯で殺人を犯し、死体を処理するというそのことだけでも、決してハッピーエンドは望めない状況下で、最終的にあれほど「ほのぼの」する不思議。この映画しみじみとほのぼのするんですね。なんだろう。生きててよかった感が溢れているんだな。

どんでん返しも確かにありますが、それ以上にあれだけの多幸感を醸し出す演出も俳優たちの演技も素晴らしかった。

映画を観ながら、僕は不思議な既視感に囚われていました。

それは、かつて七十年代や八十年代初頭に池袋や板橋や高田馬場や飯田橋辺りの名画座で散々見たあの日活ニューアクションの匂いがこの映画にはあったんです。それは映像だとかストーリーテリングだとか背景の造形であるとか、そういった視覚的なものだけでなく、匂いそのものが日活ニューアクションを彷彿とさせるんですね。原田芳雄さんや松田優作さんや佐藤蛾次郎さんやあの頃の画面から漂ったあの匂いが、この映画にはあった。

観終わった頃、こんなところであの頃を匂いをもう一度体験できるんて思いもよらなかったので、それこそが一番大きな「どんでん返し」でした。

たぶんその匂いとは、ハリウッド映画に単純に追随するわけでもなく、お洒落な雰囲気を求めるわけでもなく、美学的な映像美を探求するでもなく、ひたすら生活を描くその視線と制作態度から生まれるものでしょう。

それは何度も出てくる主人公の家の夕食の風景や銭湯の湯気、ボイラー室、銭湯の番台のやり取り、コーヒー牛乳、、、、、嗚呼これら全てに匂いがあるんだな。

デオドラントでステキ感満載の映画がはびこる昨今、こんな唐揚げの食卓の匂いのする映画は本当に貴重なんです。

この映画は物語の荒唐無稽さを、映画が醸し出す「生活の匂い」のおかげで信じられるものにしている。リアルな荒唐無稽がそこにはある。

映画は二次元で画面の中の世界に過ぎないが、確実に匂いを放っているんだと思います。それをすくい取ることのできた貴重な映画がこれです。

まだ上映中です。

ぜひ、この幸せの匂いのする風景を味わってみてください。きっと幸せになれますよ。保証します。

映画『メランコリック』予告編


映画『よこがお』に関して ープロパガンダから遠く離れてー

映画『よこがお』に関して

ープロパガンダから遠く離れてー

先日観た映画数本を連続してまとめておきたいと思います。

まずは、映画「よこがお」から。

この映画は、演技指導をしている友人のシーラさん(白峰優梨子さん)からのご紹介で観ることになったのですが、これが素晴らしいサスペンス・ミステリーでした。

製作にフランスが深く関わることで生じたのかもしれませんが、既存の日本映画にはない現代の日本人の生活を観察する視点が随所に見られ、惹きつけられました。

物語は介護職に従事する中年女性が、自分の甥の起こした事件のせいで、本人が無実どころか全く関係がないにもかかわらず、周囲から徐々に真綿で首を締め付けられるように、加害者のような扱いを受けていく、というまさに現実的不条理を描くものでした。

ただし、この物語の興味深い点は、過去と現在が同時進行しており、その構成に気がつかなければなかなか解りづらいところかもしれませんが、「彼女は如何に現実に対し復讐したか」が語られていたのでした。

監督がインタビューで語っておられましたが、最近の劇場商業映画作品の多くに政府広報と大衆に対する価値観の宣伝と政治的教育及び政策に対する啓蒙を狙ったプロパガンダの要素が強まっています。

それに対し、確かにこの作品はプロパガンダから遠く離れた作品です。なぜなら、主人公を破滅させるマスメディアの扱い方も、憎々しくはあるけれど、「だからマスコミは信じられない」的な紋切り型の単純なメディア批判は微塵もなく、ひたすら不条理な状況に陥った女性に寄り添い彼女の視点から世界を見ようとしているのですから。

こうした登場人物の視点から世界を見る方法こそが演劇やドラマ、映画に課せられた機能であり、物語を視覚的、聴覚的に追体験する意味なのだと思うのです。

信じていたものに裏切られたり、ほんのちょっとした誤解や、気を許した故の油断、一瞬の選択ミス、こういった些末だが未来の方向を決めていく瞬間を様々な角度からこの作品は僕らに見せてくれる。その意味では、人間観察から始まって、社会学的な視点まで至り、最後には破滅の意味さえ疑わしくなる、生のふてぶてしさまで感じさせる見事なストーリーテリングでした。

「よこがお」とは、人が人を見るとき、その反面しか見ていないと言う意味なのでしょうね。その意味では、画面を通じて反対側にあるその「よこがお」を見せてもらえるのは、現実ではなかなか無理ですが、それこそ映画や演劇、ドラマの力なのだと思います。

主人公があれほどまでに社会的に追い込まれて行く様は、悪く言えばもっとヨーロッパ的な薄ぼんやりしたイメージ重視の映像を予測していた僕には衝撃的なほど具体的であり、この映画が人間の不条理を観念的に机上の論理として捉えているのではなく不条理こそリアル(現実)であるという実感からきているのだな、とあらためて思いました。

複雑な構成は、この心理ミステリーには不可欠な要素だったんですね。丹念に物語を追うことで、主人公の彼女の心理に少しだけ追いつけるのでしょう。

善意の主人公がル・サンチマン(恨み)を抱え復讐に転じるあたりの凄みも演技と演出の良さを感じました。演技で先を予測するのは勿論御法度ですが、登場人物として今を最大限に生きている俳優たちの気配の凄みと生き方に強く惹き込まれた稀有な作品だと僕は思う。

こんな作品を日本の映画製作者たちも投資家もどんどん生み出してくれたら、きっと世界は変わってくるのではないかな。原作に頼るのでもなく、先行作品に寄り掛かるでもなく、今やるべきこと、今語るべきことを、エンターテインメントとして語ることの大切さをこの作品で僕は確信しました。

多くの方々にこれからもぜひご覧いただきたい一本です。

映画『よこがお』予告編