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西荻窪 登亭 あれから43年

『西荻窪 登亭 あれから43年』

旧ブログでも、もう十年以上前に書いたことのある、かつて西荻窪にあった洋食屋「登亭」について書きます。

ブログを一新したこともあり、このお店のことはまず語っておきたいと思います。

西荻窪・洋食屋「登亭」2006年12月16日閉店

西荻窪・洋食屋「登亭」2006年12月16日閉店

もう閉店して、かれこれ十三年も経ちますから、だいぶ昔の話になります。西荻窪に40年間あって腹をすかした若者たちの胃袋を支えてくれたのが、この「登亭」でした。

僕はこの店に十八歳から二年間お世話になりました。一週間に六日通いたいのだけれど、何しろお金のない貧乏浪人生の僕は、アパートの先輩に連れられて、一日おきに通っていました。それでもまったくお金がなくなると二三日絶食なんてこともありましたが。

ともかくも、この店ほど、腹をすかせた若かった僕をなんとか生き抜かせてくれた店は他にありません。

そんないつもお腹をすかせひもじい思いをしていた時、夢にまで見たのが、登亭の「トン定」こと「トンカツ定食」でした。銀座のお店で修行したオヤジさん手作りの独特のデミソースのかかったトンカツはほんとに美味かった。差し出される味噌汁には必ず親指が突っ込まれていたのも懐かしい。

ネット上の記事の多くが、ミックスフライに言及されておりますが、僕にとっての登亭の原点はトン定かチキン南蛮でしたね。いつも貧乏学生の列に並んで、順番に店のカウンターで食べてたな。

登亭のオヤジさん「のぼるさん」

登亭のオヤジさん「のぼるさん」

オヤジさんはノボルさんと仰る方で、大の巨人ファン。僕が通っていた頃はラジオで巨人の試合の実況がいつも流れていました。

「あんたナニふぁん?」とオヤジさん。

「え?えと、えと、ジャイアン、ト、馬場???」

「この野郎、帰れ!ここはジャイアンツ以外は出入り禁止だ!あ!馬場って元ジャンアンツか?許してやるよ」

そして、オヤジさんはチキン南蛮を一切れおまけしてくれました。

登亭の店内カウンター席

登亭の店内カウンター席

僕が上京してはじめて西荻窪に移り住んだのも偶然でしたが、アパートの先輩に連れられて登亭に行ったときの衝撃は今も忘れられません。

脂ぎったL字のカウンター席。営業中は基本開けっ放しのガラス戸。外には見るからにお金のなさそうな髪の長い学生が列を作って待っている。みんな無言。

どんなに苦しくても、どんなに寂しくても、登亭のカウンターに座るとホッとして体が暖かくなりました。オヤジさんがガハガハ笑いながら素手でカツを揚げていました。みんな黙々と飯を食う。店の中には油煙や蒸気が溢れ、家族から一人離れ、その日暮らすお金に困りながら大学をめざしていた僕は大いに慰められました。

思い出すだけで、登亭の日々は、まさに貧しかったけれど青春の日々でした。

1976年はそんな時代でした。

擦り切れたGパンと下駄。銭湯と登亭。西荻ロフトで森田童子を聴き、西荻セントラルで映画を見る。部屋の中でギターを抱きしめて勉強していたあの頃。

シャーウッド・アンダーソンを読み、ワインズバーグの青年は自分だな、なんて思いながら、長距離走者の孤独を読んで、この怒りは俺と同じだ、なんて思いながら、一日一日を必死で生きていたような気がします。隣の家からカレーライスの美味しそうな香りが窓辺にしてきたとき、僕は田舎の家族のことを思い出しながら、登亭の店先に佇んでいたのを覚えています。

思春期を過ぎて、青春期にさしかかり、僕は「孤独のレッスン」をしていたのだと思います。

芝居と出会う前、僕を支えてくれたのは確かに「登亭」でした。

結婚した頃、妻を連れて、登亭を訪ねたことがります。もう忘れてるかな、と思いましたが、オヤジさんはにっこり笑って、覚えていてくれました。

もう遠く過ぎ去った日々ですが、あの頃の貧しさやひもじさがあったから、今があると思えます。今の時代の邪悪な貧しさとは質が大きく異なりますが、僕にとってあれは必要な経験でした。

ノボルさん。

今もお元気でいらっしゃいますか?

僕は少しは成長できたでしょうか?

あなたのトンカツのおかげでここまで生きてこられました。

ありがとうございました。

登亭のトン定を愛した元長髪のGパン野郎より

 

下の動画はkameal hiroshiという方の「登亭」のYouTube動画です。感謝!!

https://www.youtube.com/watch?v=b-sKl7Qt-vY