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日常生活

『君たちへ贈るー未来の詩』

 

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『君たちへ贈るー未来の詩』by Kazan Ueno

 

 

未来を夢見ながら 今を生きてるんじゃない
今を生きながら 未来を創造するんだ

 

僕らは 幸せだから笑うんじゃない 
笑うから幸せなんだ

 

未来の芽は 青空の下の ふきのとう
だれも気づかない 地面の そのはしっこで
未来は生まれる

 

明日は 今日のご褒美で
昨日は 今日の準備だったんだ

 

だから

 

まだ来ぬ未来へ 僕らは続いていくんだよ

 

やらなきゃならないことって なんだろう
それだけが 僕らを生かしてくれるのさ

 

小さな地面にころがるふきのとうのように

未来が生まれるんだってことだけは 決して忘れまい

 

今日の君は

明日の君自身の 父であり母だ
ちっぽけだけど 力強い この世を創り出す

父であり母なんだ


『丁寧な日常』

JS Sitting

『丁寧な日常』

V-net教育相談事務所で現在教鞭を執る岸朱夏先生の撮られた短編映画「ななめの食卓」について書きました。

もしよかったら、お読みください。

先日、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2020に出品された短編映画を見る機会を得た。
映画のタイトルは「ななめの食卓」

ほとんどの場面が室内で行われる、まるで舞台劇を観るような濃密な空気感がそこにあった。わずか27分という短い物語の中で、静かに繰り返される対話はまさに日常のありふれた言葉だが、だからこそ、そこには誰もがどこかで見たり感じたりしたことがある誠実な肌触りがあった。

アメリカ映画にあるような暴力的な対立を煽るところもなければ、韓国映画のような激しい情緒もない、むしろそこには日本家屋の持つ静謐さそのものが発するような「柔らかな視線」があった。

2000年代以降、小劇場等でも「日常」はテーマになり、なにも起こらない日常を描く芝居が多く上演された経緯がある。勿論、それらはとても興味深い日本の様々な種類のリアルを描いてはいたが、優しさは少なかった。日常は退屈でつまらなく、だらだらと間延びし憂鬱でカッタルイもの。僕らの日常は無意味で充満し、希望はおろか深い絶望すら見失っている。そんなリアリズム演劇がかなり長いこと下北沢周辺から日本のドラマの色を変えてきた。
実際、この世界に対する胡散臭さや偽物臭に敏感な人々は、そうしたリアリズム演劇に日常の真実を見出したようだった。そして、かくいう僕もその一人だった。

しかしながら、そうしたドラマに大きく欠けていたものがあった。
それは、優しさである。日常で何も起こらないはずがない。優しさはなかなか見えにくいのである。
優しさなんてものは、結果であって、求めるものでもないというのは重々承知の上ではあるが、やはり「優しさ」は大切なのだ。優しさを忘れた批判も批評も、それはやがて厳しさを理由に暴力に堕すだろう。優しさは甘やかすことではない。優しさとは、相手をそっと見守るその視線そのもののことかもしれない。
親子、兄弟姉妹、友人同士、師弟、そうした関係性の中で、優しさは確かに育まれることは多いだろう。

この「ななめの食卓」という映画の意外性は、まさにその点にある。
妻を亡くした男とその亡き妻の母との奇妙な二人暮らしを描くこの作品では、優しさこそ生活を成立させる大きな原因となっていた。
そもそも二人は赤の他人だが、亡き妻と娘という接点のみで、生活が続いていくのだ。
夫婦という関係性が他人同士の共同生活から始まるわけだが、夫婦でもないのに、それでも継続する接点を失った家族。
その二人を結びつけるのも優しい互いを見つめる視線なのだと物語の終わりに気付かされる。亡くなった妻であり娘である女性が作り置きしていたカレーを残された義母と娘婿が食卓で初めて向き合って食べるとき、観るものは二人の関係の優しさに、魂が揺り動かされるのである。

葛藤や軋轢というものは、怒鳴り合い、憤り合うことばかりでないのだということがよく分かる。置かれた状況そのものが葛藤であり軋轢なのだから、その中で人はなんとかして優しさを見出そうとするのだろう。
かつてより、日本のドラマ作品にはこうした静かなる葛藤を描くものが多くあった。例えば昭和12年の山中貞雄監督の「人情紙風船」、小津安二郎監督の「東京物語」、黒澤明監督の「生きる」、木下恵介監督の作品群等など。

「ななめの食卓」という作品は、早稲田大学の学生たちによって創られた新しい作品にも関わらず、長い間忘れられていた過去の巨匠たちの作品の系譜に並ぶものだということがよく分かった。そして、コロナ禍で喘ぐこの時代に、人々の揚げ足を取るようなクレームや匿名や名声を利用してSNSで人々軽々しく追い込んでいく空気の中で、他者を思いやる「優しさ」をテーマにしたことは本当に貴重な作品なのだと思う。

ただただ目新しいものを創り出すことが最善とされる時代に、「今失われている大切なもの」を描くこの作品の存在は、僕にも静かに明るい未来を予感させてくれる大切な想い出になりました。監督、スタッフ、そしてキャストの皆さんに感謝!!!

ありがとう!!!

………………………………………………………………………….
映画「ななめの食卓」詳細

監督:岸朱夏
出演:高間智子、清田智彦、谷川清美、玉置祐也、山下真琴

< 解説 >
突然直面することになった「遺された家族の生活」を、戸惑いながらも次第に受け入れていく義理の親子を題材にしたのは現役大学生、岸朱夏。微妙な二人の心情を、毎日座る食卓の位置でうまく表現している。本作は早稲田大学の基幹理工学部による映像制作実習で制作されている。今年で5年目となる本プログラムは、映像学科や専門学校と異なり、映像制作の技術を学ぶことよりも、制作過程においてお互いの考え方や姿勢を学ぶことを目的としている。映像制作経験もほぼないスタッフの中で作り上げられたという事実に驚くものの、授業の担当教員に是枝裕和監督や篠崎誠監督が名前を連ねており、日本を代表する錚々たる監督陣の指導によるものだとわかると、納得もいく。本映画祭での上映がワールド・プレミアとなる。

< 物語 >
妻を亡くした男と、義母。家族でもあり、他人でもある微妙な距離感。
向かい合って座れる日は来るのだろうか?
一緒に暮らす会社員の達紀と義母の信子は、いつも決まってななめ向かいに食卓につき、会話にも態度にもぎこちなさを隠せずにいる。二人を繋いでいたはるは、交通事故で急逝していた。信子は娘を、達紀は妻を失った悲しみを抱え、互いを気遣いながらも自分たちの今後を決めあぐねていたのだが…。『ななめの食卓』

予告編|SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2020 国内コンペティション(短編部門)


西荻窪 登亭 あれから43年

『西荻窪 登亭 あれから43年』

旧ブログでも、もう十年以上前に書いたことのある、かつて西荻窪にあった洋食屋「登亭」について書きます。

ブログを一新したこともあり、このお店のことはまず語っておきたいと思います。

西荻窪・洋食屋「登亭」2006年12月16日閉店

西荻窪・洋食屋「登亭」2006年12月16日閉店

もう閉店して、かれこれ十三年も経ちますから、だいぶ昔の話になります。西荻窪に40年間あって腹をすかした若者たちの胃袋を支えてくれたのが、この「登亭」でした。

僕はこの店に十八歳から二年間お世話になりました。一週間に六日通いたいのだけれど、何しろお金のない貧乏浪人生の僕は、アパートの先輩に連れられて、一日おきに通っていました。それでもまったくお金がなくなると二三日絶食なんてこともありましたが。

ともかくも、この店ほど、腹をすかせた若かった僕をなんとか生き抜かせてくれた店は他にありません。

そんないつもお腹をすかせひもじい思いをしていた時、夢にまで見たのが、登亭の「トン定」こと「トンカツ定食」でした。銀座のお店で修行したオヤジさん手作りの独特のデミソースのかかったトンカツはほんとに美味かった。差し出される味噌汁には必ず親指が突っ込まれていたのも懐かしい。

ネット上の記事の多くが、ミックスフライに言及されておりますが、僕にとっての登亭の原点はトン定かチキン南蛮でしたね。いつも貧乏学生の列に並んで、順番に店のカウンターで食べてたな。

登亭のオヤジさん「のぼるさん」

登亭のオヤジさん「のぼるさん」

オヤジさんはノボルさんと仰る方で、大の巨人ファン。僕が通っていた頃はラジオで巨人の試合の実況がいつも流れていました。

「あんたナニふぁん?」とオヤジさん。

「え?えと、えと、ジャイアン、ト、馬場???」

「この野郎、帰れ!ここはジャイアンツ以外は出入り禁止だ!あ!馬場って元ジャンアンツか?許してやるよ」

そして、オヤジさんはチキン南蛮を一切れおまけしてくれました。

登亭の店内カウンター席

登亭の店内カウンター席

僕が上京してはじめて西荻窪に移り住んだのも偶然でしたが、アパートの先輩に連れられて登亭に行ったときの衝撃は今も忘れられません。

脂ぎったL字のカウンター席。営業中は基本開けっ放しのガラス戸。外には見るからにお金のなさそうな髪の長い学生が列を作って待っている。みんな無言。

どんなに苦しくても、どんなに寂しくても、登亭のカウンターに座るとホッとして体が暖かくなりました。オヤジさんがガハガハ笑いながら素手でカツを揚げていました。みんな黙々と飯を食う。店の中には油煙や蒸気が溢れ、家族から一人離れ、その日暮らすお金に困りながら大学をめざしていた僕は大いに慰められました。

思い出すだけで、登亭の日々は、まさに貧しかったけれど青春の日々でした。

1976年はそんな時代でした。

擦り切れたGパンと下駄。銭湯と登亭。西荻ロフトで森田童子を聴き、西荻セントラルで映画を見る。部屋の中でギターを抱きしめて勉強していたあの頃。

シャーウッド・アンダーソンを読み、ワインズバーグの青年は自分だな、なんて思いながら、長距離走者の孤独を読んで、この怒りは俺と同じだ、なんて思いながら、一日一日を必死で生きていたような気がします。隣の家からカレーライスの美味しそうな香りが窓辺にしてきたとき、僕は田舎の家族のことを思い出しながら、登亭の店先に佇んでいたのを覚えています。

思春期を過ぎて、青春期にさしかかり、僕は「孤独のレッスン」をしていたのだと思います。

芝居と出会う前、僕を支えてくれたのは確かに「登亭」でした。

結婚した頃、妻を連れて、登亭を訪ねたことがります。もう忘れてるかな、と思いましたが、オヤジさんはにっこり笑って、覚えていてくれました。

もう遠く過ぎ去った日々ですが、あの頃の貧しさやひもじさがあったから、今があると思えます。今の時代の邪悪な貧しさとは質が大きく異なりますが、僕にとってあれは必要な経験でした。

ノボルさん。

今もお元気でいらっしゃいますか?

僕は少しは成長できたでしょうか?

あなたのトンカツのおかげでここまで生きてこられました。

ありがとうございました。

登亭のトン定を愛した元長髪のGパン野郎より

 

下の動画はkameal hiroshiという方の「登亭」のYouTube動画です。感謝!!

https://www.youtube.com/watch?v=b-sKl7Qt-vY

 


近くて遠い国から

『近くて遠い国から』

Taken by Kotaro Yoneshima
Taken by Kotaro Yoneshima

先日、二年前に大学で教えた中国の留学生の一人からメッセージを頂いた。

 

ほんの短いメッセージの中で、彼女が日本を離れ故国に帰り社会人として出発したことがわかった。

中国は遠くて近い国である。

全く違う政治体制と伝統文化。それにもかかわらず、日本に来て学び深く考え、そしてまたメッセージをくれる。

僕が長いこと放ったらかしにしていたブログ等を今整理し、統合しようとしているのも、もとを正せば、中国に帰った彼女のメッセージに力づけられたからに他ならない。

 

「今は中国です。中国で就職しました。でも、中国に帰っても時々先生のブログを見ます。

先生のブログからエネルギーがもらえます。私もがんばります。そして楽しみます」

 

嗚呼、なんと美しい言葉だろう。

エネルギーをもらうのはこちらの方だ。魯迅にとっての藤野先生のようにはなれないけれど、君が熱心にノートを取りながら講義を聞いてくれていた姿を僕は忘れません。

日本には日本の問題があり、中国には中国の問題がある。それはマスメディアでは語られない様々な要素であり、それらを無視して批判も合意も生まれるわけがない。

にもかかわらず、メディアは新聞やテレビのみならず、ネット上においても薄っぺらな国家批判ばかりがまかり通っている。

おそらく、僕らが欲しいのは一般論ではない。個人の出会いの中で育まれる個人的な共感と理解が欲しいのだと思う。国家間においては、政治的解決は確かに必要だし、それがなければ戦争を防ぐ手立てもなくなるが、それにしても、大きな解決のために小さな悲しみや喜びや生活を無視するのは、歴史の必然であっても、許しがたい行為だと思う。だが、これまでも、そしてこれからも、そんなことが世界中で多く起こり、続いていくのだろう。

だから、こんな小さなメッセージが本当に嬉しかった。

僕は君たち中国からの留学生たちから中国の映画シーンの知られざる問題点に気付かされたし、韓国からの留学生からは光州事件以降の韓国内の決して口外されない問題点や様々な国内の現状にも気付かされた。

 

先生とは、先に生まれ、教え子から学ぶ者のことだ。

その点で僕は本当に幸運に恵まれていると思う。日々僕は教えはするが、逆に彼らから学ぶことばかり。少しは成長できているかな。

ありがとう!謝謝!

もし、このブログも見ていくれていたら、僕は嬉しい。中国に帰った君も、韓国に帰った君も元気で頑張ってくれることを心から祈ってる。

僕もますますがんばるぜ!!

実は、昨日はバンドのLIVEでした!来週もLIVE☆

僕も楽しむよ、この人生を!!!!!

 

P.S.

上の写真は、中学生の教え子、米島虎太朗君提供によるパノラマ写真。

西荻窪上空の碧天。素晴らしい!!感謝☆

 

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LIVE演奏の後、客席にて☆2019年6月29日


僕たちの時間

【イーハトーブの5月の風景 2018年5月撮影】

『僕たちの時間』

気がつくと平成から令和に変わっていたって感じ。

元号が変わろうが、僕らの生活は基本的に何も変わっちゃいない。当たり前だろ。

むしろそれより、逆に元号が変わる以上に、毎日変わっているといった方が良いかもしれない。停滞や思考停止ってのは、日々の変化に気づかない周囲のイベントの変化に振り回される精神状態から生まれるような気がするね。

僕たちは政府や権威に設定された時代や時間を生きているのではありません。僕たち自身の持って生まれた時間を生きているのです。

なのに日々を暮らしていると、時々、この世界に生まれたことが奇跡だという大切な事実をつい忘れてしまうようだ。

僕たちは人生を通じて、それぞれの時間を生きているんだぜ。なのにその貴重な時間を、むやみに売り渡してはいないか?

大人ならば会社の仕事という絶対的な義務のために、学生ならば学校や教育システムという既存の大きな枠組みの中に取り込まれて、あるいはまた、友人の和を乱さないためだったり、家族のしがらみに巻き込まれていたり、様々な形で、良くも悪くも僕らは自分自身の時間を奪われているのだと自覚したい。奇跡のような日々を押しつぶす様々な要素に無自覚なのは本当に残念なことだ。

例えばこの数年、中学校や高校で運動クラブの拘束時間の問題があります。

勉強も大事、スポーツも大事、芸術も大事。

あまりにも当たり前のこと。

ところがここ二、三年、運動部が異常なほど長時間にわたる練習時間を取り、土日は試合が入るという週七日制が定着してきているようです。

クラブ活動優先のため、他のことが何もできないという状況に陥っている生徒を僕はすでに何人も見てきました。

バランスが悪すぎでしょ。

僕たちの時間は限られている。一週間に七日間、運動クラブをすることが本当に幸福なのかな。もちろんその競技が大好きで大好きでたまらないという人はいると思うし、実際国の強化選手ともなればそういうことは当然でしょう。だけど、一般の生徒たちが週七日運動クラブ漬けというのは本当に健全なことなのだろうか。これで本当に心身のバランスが保たれていると言えるのだろうか。特に学校生活において、それは有意義といえるのか。

僕たちの時間は、僕たちが選ぶべきです。

そして、彼らの時間は、彼らに選ばせてください。

その大切な時間を奪ってまで、子供たちを運動漬けにするのは常軌を逸していると僕は思う。ぜひ多くの学校にお願いしたい。運動クラブのクラブ活動をすることで加点するというシステムを見直していただきたい。運動クラブをやらないと協調性がないと批難しないでいただきたい。試合に出る限り授業を受けなくても良いというやり方は確実に間違っているので、やめていただきたい。

企業がブラック化していると言われて久しい昨今ですが、学校のクラブ活動もオリンピック前で調子に乗ってブラック化していませんか?

この極端な傾向はここ数年のことであり、かなり一時的なことだと思いますが、無自覚なままでいるわけにはいかないほど悪化している。

毎日のように様々な生徒たちと時を過ごしながら、僕たちの時間をなんとしてもとりもどさなければと思う今日この頃です。

運動もやり、勉強もやり、芸術もやり、結局はなにごともバランスではないでしょうか。

だから、僕は芝居をやり、音楽をやり、英語をやり、演劇論をやる。楽しい!これだな。他人の時間を無駄に奪うこともなければ、自分の貴重な時間を奪われることもない。みんなが豊かになれる。バランスだよ!!

僕たちの時間は、僕たちの豊かな時間にしたいものだね。


名残りの苺

『名残りの苺』

苺の季節がそろそろ終わるそうです。

桜の季節が終わり、新緑の季節が訪れる頃、苺の季節が終わりを告げる。まさに終わりこそ始まりの季節そのもの。あらゆるものを終えながら僕らは前へ進んでいるのだ。そんなことを思わせてくれる今日この頃、みなさんいかがお過ごしですか?

先日、妻がお安くなった苺を山ほど買って帰宅しました。小粒でいかにも酸っぱそうな苺たち。旬の終わりかけの時期に出てくる苺は、やはり小粒で酸っぱい子が多いそうです。

「名残りの苺よ」と妻が言った。

うむ、名残りの苺ね。旬の真っ盛りの時期の派手さはないが、名残りの苺とは良いネーミング。季節の最後に味わうには、どこかもの哀しく、それでいて粋な艶のある表現だな。

知ったかぶりをして、「名残りの苺は酸っぱいでしょ?」と僕。

「あら、生で食べないよ」と妻。

うん?

「ジャムにするのよ。名残りの苺はジャムに最適。おいしいよ!」

それから、キッチンでジャム作りがはじまった。まずは苺を洗ったら砂糖をまぶして寝かせるのね。へぇ~!と感心。そうこうしているうちに、やがて鍋で苺を煮詰めていくわけだ。

昔、ジャム作りに失敗したことを思い出す。なぜか煮詰めているうちに灰色というか白っぽくなり、あのジャムの透明感がなくなったことを思い出す。そんなことを考えながら苺を煮詰める妻を見ていると、確かに鍋の中で苺が灰色に変わり始めている。また。失敗なのかな、と思っているうちに、「ほら!」と妻。

僕は驚いた!苺の周辺の赤い蜜のような液体が、再び苺に戻り始めているじゃないか。妻が言うには、一度煮詰める途中で抜けた赤色は、再び苺に戻り、今度は透明な赤になるとのこと。うぇ~い。。。。知らなかったよぉ。。。。透明な赤色の苺ジャムがそこにあったぜ!

それから、冷め切らないうちに大きめの瓶につめる。僕は毎朝ピックルスを食べることにしているのですが、その空き瓶がちょうど良い。口が大きめで、全体に大ぶりのピクルスの空き瓶が今は手作りジャムの瓶になってます。

翌日、朝の食卓にジャムの瓶が並ぶ。

普段は禁じられているバターをトーストにうす~く塗り広げる。それだけでも、もうたまらん僕なのだが、瓶からごろごろの苺ジャムを取り出し、トーストの上に。。。。

カズオ・イシグロの「日の名残り」は人生の後半、旅する執事の美しい物語だったが、「名残りの苺」も良い味出しているね。

終わるというのも良いものです。

終わるから「今」を味わえる。終わるから愛しく思える。終わるから一所懸命になれる。終わるから夢が見れるのだ。

名残りの苺をうっすら塩っぱいバターの風味とともに頬張りながら、そんなことを考えた。

生きててよかった。

感謝。

追伸

でも、実はこのジャムの作り方は現在放送中の「きのう何食べた」というドラマで知ったそうです。僕も観たぜ。ナイス!!僕はまるでケンジのようにトースト食べた。良きドラマ、サンクス!!


『美しいということ』

タイトル『紅』 作・米島虎太朗

先日、上野の東京都美術館にて絵画と写真の展覧会を見る。

久しぶりの上野の森。

日差しは結構暑かったけど、木陰に吹く風が涼しくて気持ちがいい。

駅から美術館まで、ゆっくり散策。いつもは近所の公園や川沿いを歩くんですが、木漏れ日の中を歩くのは最高にいい気分☆

沢山の人が歩いている。老いも若きも家族連れもカップルも或いはひとりで。そんな人々のすれ違う中、本来ならウンザリするはずが、なかなかそれも楽しい。その後、あえて人々の群れを余所目に、森を通り抜ける。

ヒンヤリした風を感じ、木々の緑の枝先の向こうに蒼空が見えた。瞳の中に太陽光線が創り出す光の輪が見えた。

ふと歩きながら、地元の駅のホームから見上げた時、薄い雲の間に逆さになった虹の弧を見たのを思い出す。上空には冷たい氷の粒があったのかもしれない。虹は普段とは逆向きに薄く七色の光を発しながら、ホームの上空に佇んでいた。その逆さの虹を見た後、今度は上野の森で、光の輪を見たわけだ。

美しさとは一瞬の奇跡なんだな。そのモーメントを逃すと決して同じ体験はできない。保存することも、見返すことも本来はできない。演劇や音楽に関わっていると、つくづくそう思う。同じことは二度繰り返せない。

しかしながら、写真や絵画というジャンルは一瞬を凍結させる芸術であります。勿論、演劇も映画も音楽も瞬間の凍結の側面もありますが、それでも「静」という要素は写真や絵画にこそ相応しい気がします。

木漏れ日の中を通り抜け、美術館の中に入り、一階の展示室の一番奥に、その作品は静かに掲げられていました。

『紅』

和傘の紅色が太陽光に照らされ輝く風情が、一瞬の揺らぎの中で切り取られていました。

学校という圧倒的な制約と圧力の中、懸命に戦っている君の見た景色は確かに「美」そのものでしたよ。

美は制度を超える。

とても大切なことを学んだ気がするんですよ。美しい瞬間に素直になれる、というのは一種の特権だということ。

そして、どんなに大人たちが、政治的に忖度しても、制度を盾に圧迫を加えても、美を見出した人間を止めることはできないのだ、ということを。

大人たちの尺度に合わない若者が次の時代を創り出すんだよ。

その意味で、この作品が新人賞を取れたことは、大人もまだまだ捨てたもんじゃないな、という証かもしれないね。

美しいということは、決して万人ウケすることではなくて、静かに対象と瞬間を共有し合う交流から生じる「結晶」のようなものなんだろうな。

上野の森で、僕はとてもリラックスして、美を楽しんだよ。

ありがとう😊y


『懐疑的であることはたいせつだよ』

我が家のそばを走ってるトトロの電車☆

信じるという言葉があります。

僕らが日常的に使うこの「信じる」という言葉は、実に多様な意味がありますね。神や真実の存在を信じたり、あなたの言うことを信じたり、新聞の記事を信じたり、ネットの噂を信じたり、SNSの投稿を信じたり、、、、、どれもが同じようですが、ちょっと違う。

信じる行為を可能にさせるのは、信仰や信頼や愛情や友情や尊敬や、様々な要素によって質のことなるものだからです。

とはいえ、僕らは常に何かを信じたいし信じるからこそ何らかの確信を持って前へ進んで行けるし、信じるからこそ様々な問題への対処が楽になる。

ですが、本当に信じることで救われてますか?信じることで大概は救われるのでしょう。信じるからこそ、何かに囚われ、がんじがらめになり、疑うことが罪悪に思え、身動きがとれなくなる、なんてことありませんか?

昔読んだ本の中で、クリシュナ・ムルティという方が「私は何も信じない」と言っておりました。確か彼の著作のタイトルにもなっていましたね。

自分の教団を持ちながら、信者たちを捨て、教団を畳んだ彼は、自ら何も信じないと言うことで、彼の後を追う信者たちに「自らの力で考えよ」と言ったのだと思う。

同じようなことがかつてドイツでもありました。

実存哲学の巨星、マルチン・ハイデガーは戦後ナチスに協力したということで、評価を著しく下げてしまった晩年が哀しい哲学者でしたが、戦争中、弟子であり愛人でもあったハンナ・アーレントをドイツからアメリカに送り出す時、こう言いました。

「思考せよ」

単純に何かを信じるのではなく、考え続けることこそ価値のあることだと伝えたわけです。

信じるという行為は、本当に難しいことですね。例えば夫婦だって信じることがなければ一緒に暮らすことなんてできやしない。信じることは、それほど僕らの日常に深く根ざした根本理念とも言えるかもしれません。

それでもなお、信じることの「怪しさ」、場合によっては「いかがわしさ」に注目せずにはいられません。

日々流されているニュースにしても、特にあからさまなフェイク・ニュースというわけではないにしても、すべて信じ込むような人はいませんよね。何か事件が起こると似たような事件が立て続けに報道されますが、それは報道する側が取捨選択もしくは忖度しているわけです。僕たちがニュースを選べるわけもなく、すでにメディアによって取捨選択と忖度が行われて、その結果として見せられているに過ぎないのです。

だとすると、一概に一連の報道を基に傾向を探ることは、報道を流す側の忖度に乗っかってしまうことになりはしませんか?

テレビは駄目だけど新聞は信じるというメディアの種類の問題ではなく、受け取る側のこちらの姿勢の問題なのです。鵜呑みにするのは受け取る側が「信じ」込む準備ができているからです。準備は教育かもしれないし、目上の人間から受け継いだ信念かもしれないし、社会的立場で培った常識かもしれません。いずれにせよ、自らを疑うことがない場合は、容易に「信じる」という行為が生まれやすいのではないかな。

それとは対称的なのが「懐疑的である」ということです。

一般に懐疑的であるというのは、どこか斜めに見た嫌らしい態度のように見られがちです。懐疑的=疑り深い、というのかな。

とはいえ、懐疑的であるというのは思考するということであり、疑うことのない思考は思考ですらないかもしれない。人間の頭の中は絶えず様々な事象が入れ替わり立ち替わり現れ、疑問(疑念)と検証(確認)を繰り返しています。

疑うことがなければ確認もないので、疑うことがなければ放置されるわけです。安易な信じるという行為の究極の危険性はここにあると言えます、

すなわち、思考をやめ、事象を「放置する」ということ。

クリシュナ・ムルティの「何も信じない」も、ハイデガーの「思考せよ」も共に、放置せず、人任せにせず、自らの精神をフルに使って、頭脳を働かせ「疑え!考えろ!」と言っているのではないかな。僕にはそう思えてならないのです。

懐疑的であるというのは、実に良いことです。

懐疑的であるからこそ、思考するのですから。

懐疑的であることにあまり良い印象を持たない日本という国の常識的なものの見方こそ、見直すべきものだろうとしばしば思うのです。

「懐疑的であること」にあたる英語の”Skepticism”は決してネガティブな意味はないと思うけどね。

何事も簡単にあるいは安易に信じすぎず、疑いましょう。