『君と僕の間には』
『君と僕の間には』
ワクチン、ワクチン、オリンピック、オリンピックと世の中は大変な騒ぎだ。相変わらず飲食業やショービジネスは自粛を迫られている。
大学の講義も対面で行うつもりでいたが、様々な事情でそれもままならない。リモートは続く。
2019年の秋に行われた「Event201」というフォーラムで、B.ゲイツやファウチ博士等が近々コロナがパンデミックを引き起こすのでその対策を話し合ったわけだ。会議では南アメリカから発生する予想のウィルスが、実際は中国・武漢から発生したことになっている。
いずれにせよ、以来こうしてすでに一年半近く、マスクをして社会的距離を保ち、手や顔をよく洗浄するという生活を送っている。そのお陰か、昨年から風邪ひとつひかなくなっている。ところで、そんな毎日の暮らしの中で、僕は散歩をする。
雨の日は多少抵抗はあるが、晴れや曇りなら、まさに散歩日和だ。そんな散歩をしながら、少しだけ今後も続きそうな政府の提唱する「新生活様式」について考えてみた。
New Normal(新生活様式)と呼ばれる、この今や当たり前になっているマスクを着用し、決して人前で顔を晒さない、更にSocial Distance(社会的距離)を保ち、常に他人とは一定の距離を保つ、という様式は、やはりどこか大きな問題があるような気がしてならない。家庭内でもこの互いの距離を保ち、可能な限りマスクせよ、となるともうこれは人間関係の破綻ではないかとさえ思えてしまう。
もちろん、コロナ対策なのでこうした生活様式に準じるのは当然であり、反論の余地は毛頭はない。
だが、失われるものを考えると、このままで良いわけでもないだろうとも思う。
人間が他の人間と接触することを禁じられると、一体どういうことが起こるのだろうか。一時的な処置であれば問題はないかもしれない。だが、New Notrmalという言葉は今後恒常的にこうした生活の仕方を常識として続けてていくことを暗示しているのではないか。いやむしろ暗示ではなく、もはや明示ではないか。
ウイスコンシン医科大学 名誉教授であり、統合医療クリニック徳 院長である「髙橋 徳先生」という方の以下の小さい動画は、まさにこうした僕の懸念に応えてくれるものだと思った。
徳先生によれば、脳の視床下部によって作られる「オキシトシン」というホルモンがこのNew Normal(新生活様式)によって阻害され産出されなくなるとのこと。
オキシトシンとは視床下部の室傍核と視索上核の神経分泌細胞で合成され、下垂体後葉から分泌されるホルモンであり、9個のアミノ酸からなるペプチドホルモンであるが、別名「幸せホルモン」もしくは「愛情ホルモン」と呼ばれているものだ。
お話の中で、オキシトシンを分泌できなくなったラットが出てくる。こうしたラットを二匹同じケージの中に入れると傷だらけになっても争いをやめず、やがて隅っこから互いを疑心暗鬼にかられて睨んで唸り続けるらしい。
人間同士が密に関わり、そうした中で生まれるオキシトシンが、もし分泌されなくなれば、僕ら人間は、まさにこのラットになってしまうかもしれない。
New Normalは確かに今は必要かもしれない、が、これを長期に渡って継続させるのは決して人類にとって良いことではないだろう。一時的な、所謂暫定処置ということで終わりにしたいものである。
君と僕の間には、マスクや距離ではない、オキシトシンたっぷりの「愛」が必要なのだ。
社会的距離やマスクで顔を覆うことは、暫定的な処置であって、永遠のものであってはならない。それだけは心に留めておきたい。
※【高橋 徳先生の特別講義2021】オキシトシン研究の第一人者が語る新生活様式とは?「経営者だからこそ学びたい講義シリーズ」※本編は概要欄のアドレスにて公開予定。