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『美しいということ』

タイトル『紅』 作・米島虎太朗

先日、上野の東京都美術館にて絵画と写真の展覧会を見る。

久しぶりの上野の森。

日差しは結構暑かったけど、木陰に吹く風が涼しくて気持ちがいい。

駅から美術館まで、ゆっくり散策。いつもは近所の公園や川沿いを歩くんですが、木漏れ日の中を歩くのは最高にいい気分☆

沢山の人が歩いている。老いも若きも家族連れもカップルも或いはひとりで。そんな人々のすれ違う中、本来ならウンザリするはずが、なかなかそれも楽しい。その後、あえて人々の群れを余所目に、森を通り抜ける。

ヒンヤリした風を感じ、木々の緑の枝先の向こうに蒼空が見えた。瞳の中に太陽光線が創り出す光の輪が見えた。

ふと歩きながら、地元の駅のホームから見上げた時、薄い雲の間に逆さになった虹の弧を見たのを思い出す。上空には冷たい氷の粒があったのかもしれない。虹は普段とは逆向きに薄く七色の光を発しながら、ホームの上空に佇んでいた。その逆さの虹を見た後、今度は上野の森で、光の輪を見たわけだ。

美しさとは一瞬の奇跡なんだな。そのモーメントを逃すと決して同じ体験はできない。保存することも、見返すことも本来はできない。演劇や音楽に関わっていると、つくづくそう思う。同じことは二度繰り返せない。

しかしながら、写真や絵画というジャンルは一瞬を凍結させる芸術であります。勿論、演劇も映画も音楽も瞬間の凍結の側面もありますが、それでも「静」という要素は写真や絵画にこそ相応しい気がします。

木漏れ日の中を通り抜け、美術館の中に入り、一階の展示室の一番奥に、その作品は静かに掲げられていました。

『紅』

和傘の紅色が太陽光に照らされ輝く風情が、一瞬の揺らぎの中で切り取られていました。

学校という圧倒的な制約と圧力の中、懸命に戦っている君の見た景色は確かに「美」そのものでしたよ。

美は制度を超える。

とても大切なことを学んだ気がするんですよ。美しい瞬間に素直になれる、というのは一種の特権だということ。

そして、どんなに大人たちが、政治的に忖度しても、制度を盾に圧迫を加えても、美を見出した人間を止めることはできないのだ、ということを。

大人たちの尺度に合わない若者が次の時代を創り出すんだよ。

その意味で、この作品が新人賞を取れたことは、大人もまだまだ捨てたもんじゃないな、という証かもしれないね。

美しいということは、決して万人ウケすることではなくて、静かに対象と瞬間を共有し合う交流から生じる「結晶」のようなものなんだろうな。

上野の森で、僕はとてもリラックスして、美を楽しんだよ。

ありがとう😊y

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